2013年8月28日水曜日

リチャード3世は誰のもの 遺骨の再埋葬地めぐり裁判沙汰

発掘されたリチャード3世の骨。背骨が
大きく曲がっていることがわかる=2012年9月(AP)
昨年9月、英中部レスターの駐車場で発掘され、今年2月のDNA鑑定で15世紀のイングランド王、リチャード3世(1452~85年)のものと確認された遺骨の再埋葬場所をめぐり、遺骨を発掘したレスター大学などと、3世の子孫が住む地元、中部ヨークの関係者が激しく争い、裁判沙汰に発展。英高等法院(ロンドン)は27日までに、一般市民の声を広く募り、最終判断を下すべきだとの判断を示した。双方の争いは、リチャード3世にちなみ、「第2次薔(ば)薇(ら)戦争勃発か」と注目を集めている。
 「イングランド王の遺骨が500年を経て見つかるという考古学的発見は前例がない」「リチャード3世の遺骨の最も適切な埋葬の方法に関しては、慣習法の概念に照らし、一般市民の意見を広く問うべきである」
 英高等法院の判事は16日、リチャード3世の遺骨の再埋葬場所についての裁判で、こんな判断を示した。
 ロイター通信やフランス通信(AFP)などによると、遺骨を発掘したレスター大学の考古学チームは遺骨の所有権を主張すると同時に、今年2月、遺骨をレスター大聖堂に再埋葬する計画を発表。英政府もこれを承認していた。
 ところが、リチャード3世の子孫やレスター大聖堂への埋葬反対派が、再埋葬地はヨーク朝最後のイングランド王だった彼の権力基盤で、リチャード一族の名前の由来にもなった北部のヨークにすべきだと主張。反対派がヨーク大聖堂への再埋葬を求める陳情書を2万7400人分集めたところ、これに対抗してレスターに埋葬すべきだとの陳情書も8000人分に達した。
シェークスピア戯曲の中でリチャード3世は、背中が曲がった不気味な容姿を持ち、自分が王位に就くため、おいをロンドン塔に幽閉後、殺害するなど権謀術数にたけた残忍な悪役として描かれており、俳優にとっては実力を問われる大役とされる。
 しかし、考古学チームが今年2月、遺骨を基に顔の復元作業を行ったところ、その顔立ちは気品と思いやりが感じられるものだったという=写真(AP=共同)。遺骨の背中は、容姿を象徴するように大きく曲がっていた。
 そんなリチャード3世は、ヨーク家とランカスター家が王位をめぐり約30年間も争った「薔薇戦争」時の最後の国王でもあった。1485年、レスターから32キロ離れた郊外で繰り広げられたランカスター派との「ボズワースの戦い」で戦死。遺体は丸裸で晒(さら)された後、レスター市内の修道院に埋葬されたが、修道院は1530年代に取り壊され、場所も分からなくなっていた。
 今回の対立、双方のメンツの問題ももちろんあるが、世界的に有名なリチャード3世の墓の所在地になれば、観光面で大きな経済効果が見込めることも大きな原因のひとつだ。実際、昨年9月の遺骨発見以降、レスター大聖堂への訪問者は従来の20倍に激増したという。
 「第2次薔薇戦争」
 高等法院は「見苦しく、みっともない法廷闘争によって、第2次薔薇戦争が勃発するような事態は避けるよう双方に求める」と明言。専門家などで組織する独立諮問委員会に決定を委ねるべきだと主張した。ただ、判事は、リチャード3世の子孫らにレスター大学と国側に訴訟を起こす許可も与えており、争いは長引きそうな気配だ。
産経ニュースより引用しました。

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